杉浦 高子様(ぬくもりの郷グループホーム保護者会長)

共に生きる

昭和四十八年八月二十五日この世に生をうけ、御年四十四才になりました。
出産障害による頭がい内出血、仮死状態。産まれてすぐに市民病院に入院。病名は、脳性マヒ、てんかんということでした。
当時、私の職業は今でいう保育士、皮肉にも障害児保育の勉強を始めた頃でした。ですから自分の子に、何らかの障害が残るだろうという予測はついていました。それでも親ですから障害が残るのは一部であり「我が子は、大丈夫。もう少し経ったら、健常児になる」と、ずっと障害のことを否定してきましたが、目の前の我が子の成長の遅れを見ると、現実を受け止めなければなりませんでした。
「健康な子に産んであげられずにごめんね」と、今度は自分を責めるようになり、絶望的な毎日でした。そんな中からのスタートでしたが、家族の支えや地域の支え、大勢の方の支えがあって現在に至っています。

健一にとって「一生に一度の大きなできごと」を、紹介します。
四年前、当時四十才になった時、地元の同年の人から厄年のメンバー加入の話があり、名前だけでもと思い加入しました。厄年の人は、祭礼の時に餅投げをして、厄を払うという習わしが昔からあります。
餅投げのことは考えていませんでしたが、祭礼近くになって同年の人から「健ちゃんも餅投げさせてあげたい」と声をかけてもらい嬉しかったですが、心配の方が強く、断りました。
しかし、いいタイミングでぬくもりの郷の三浦主任が「僕がサポートしてあげるから」。その一言で私も勇気が出て、お願いしました。同じ町内で良かったと思っています。

十月二十七日、祭礼当日。真っ赤な法被を着て(格好いいでしょう)神社近くから皆と合流し、一緒に練り歩きをしました。
参道近くで、近所の方々に拍手やお祝儀をもらい、本当に嬉しそうでした。その後やぐらの上に上がり、元気いっぱいに餅投げをし、無事に厄払いができました。
感動の涙、涙でしたが、内心はハラハラでしたよ!!
改めて地域で支えられているんだなと感謝の気持ちでいっぱいになりました。

地域との共生、共に助け合う関係を作り上げることは根気のいることですが、努力していかなければと思います。
書ききれない人生ですが、これからも健一と共に生きていこうと思います。